インタビュー ~ 堺の元気!企業紹介 ~
巡視船など特殊艇から救命艇専門メーカーへ転換
数多くの造船所が並んだ大阪の木津川沿いで1934年に創業した株式会社信貴造船所。戦前の木造船に始まり、海上保安庁の巡視船や監督船といった特殊艇などを多く造ってきましたが、経営効率を図るために、現在地に新社屋を移転したのと同時に救命艇・救助艇の造船に特化。国内では約50%のシェアを誇っています。
「木造からスチール、アルミを経て、現在はFRPといわれる強化プラスチック製に材質が変わり、形も昔ながらのオープン型に加え、フリーフォール救命艇といわれるカプセル型も登場しています。弊社は1957年に日本初のFRP製救命艇を造船したほか、1999年にはフリーフォール救命艇の国産第一号を送り出しました」と信貴鴻一社長は語っています。
救命艇については、1912年のタイタニック号海難事故をきっかけに、国際的に救命艇の装備を義務づけようという動きが生まれ、現在は「海上における人命の安全のための国際条約」によって多国間で船舶の安全確保のための規則が定められています。工場内のあちらこちらに置かれている造船中や試験を待つ救命艇の鮮やかなオレンジ色もその条約で定められた「インターナショナルオレンジ」なのです。
▲最終設計の終わった信貴造船所オリジナルの津波対応型救命艇の模型(6.7分の1)。
豊富な実績が評価され津波対応型救命艇の検討会へ
人命に関わる救命艇については、納入にあたって国の厳しい検査が義務づけられており、豊富な納入実績を持つ同社に一昨年の12月、国土交通省四国運輸局からある依頼がありました。「津波対応型救命艇に関する検討会」への参加です。
「東日本大震災では、多くの高齢者や子どもが津波の犠牲になりました。近くに高台がない、または高台まで移動するのが難しい人たちを守る手段として、カプセル型救命艇が考えられているのです」と話す橘潤治事業統括本部長から、さらに詳しく津波対応型救命艇について説明をもらいました。
「検討会で出たのは、平常時は校庭や病院などの屋上に陸置きできるよう脚をつけることや、救助を呼ぶための双方向性通信手段とトイレ、そして1週間分の水と食料を備えることでした。こうした検討内容は逐一公開されており、弊社でもすでに津波対応型救命艇の設計に入り、ほぼ最終の形ができています」。
▲「当社の強みは、高い安全性と信頼性を確保する品質と、徹底したアフターサービスにある」と語る信貴鴻一社長。
▲「すでに多くの問い合わせや要望も寄せられており、津波対応型救命艇への関心の高さを実感します」と橘潤治本部長。
仮設の居住施設にもなる独自の救命艇を開発
救命艇メーカーとして信貴造船所が考えた「津波対応型救命艇」とは、まず高い耐衝撃性と復原性、そして気密性を有することでした。つまり津波に飲まれても転覆しないということです。そこには、同社のフリーフォール救命艇の造船技術がそのまま活かされます。担架が設置できるよう床面をフラットにし、要望によってさまざまなシートパターンにもアレンジが可能です。 「さらに被災後に、倉庫や仮設の居住施設として活用いただくことも考えています」と橘本部長。開閉できる採光窓や、救命艇が自立する艇と一体型となった脚、そしてヘリコプターからの救助を想定して、救命艇の天板をフラットにしている点は、さすが救命艇メーカーの発想といえます。すでに防災担当者をはじめ、海岸エリアの住民向け説明会も行われ、高い関心が寄せられているそうです。 救命艇が役立つのは地震による津波ばかりでなく、大雨による河川の氾濫でも活躍することが期待されます。同社では、今後は海外でも信貴造船所製の救命艇が貢献できればと考えています。
▲納入される前に社内でも厳しいチェックを何度も繰り返す。
▲船尾に取り付けられ、緊急時は最高22mの高さから落下させるフリーフォール救命艇の衝撃テストのようす。
株式会社信貴造船所
代表者 | 代表取締役社長 信貴鴻一 |
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本社 | 堺市堺区出島西町3-36 |
TEL | 072-241-2033 |
設立 | 1934年創業 |
資本金 | 1億円 |
従業員数 | 36名 |
事業内容 | ライフボート、レスキューボートの製造・販売 |
ホームページ | http://www.shigi-sb.co.jp/ |